こざくら日和 : カテゴリー : 01.全て,04.日々の徒然

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2005-12-11

田んぼの中のライブハウス

ポスト @ 16:14:07 | 01.全て,04.日々の徒然

わたくしは横浜市在住。

横浜というとみなさん、みなとみらいや山の手のイメージを持たれるようですね。 「いいところにお住まいなのですね〜」とよくおほめいただきます。 が、我が家は横浜といってもかなりはずれたところ(市のはじっこです)に位置し、まわりにはたんぼや畑がいっぱい・・・農家の牛舎のいいにおいが時折漂ってくるような、そんなのどかな町なのです。

”ここは横浜〜?”みたいなそんなわが町のすぐ近くに(お隣の市ですが歩いて5分ほどのところ)、何ヶ月か前突如不思議な建物が建ちました。近隣の方と「あれはなに〜?」と噂をしていたのですが、なんとジャズのライブをやるお店だと判明・・・。

田んぼの中のライブハウスです。なんかおつですね。

・・・・というわけで、お友達5人で昨夜行ってまいりました。 メンバーは子供会の役員で一緒だった方たち。2年もの長い任期を一緒に頑張り抜いた仲なので(ちょっとおおげさか?)結束が強く、お役が終わってそろそろ3年ですが、年に3〜4回は飲み会をやっているのです。

昨夜はピアノ、ベース&ボーカルのジャズトリオの演奏。クリスマスにふさわしい、しっとりとした雰囲気でいつもとは違う「飲み会」を楽しんだのでした。

このお店は昼間はドッグカフェにもなっていて、おしゃれなわんちゃんがいっぱい集います。ちょうど川沿いの遊歩道にも面しているので、ウォーキングのついでに立ち寄るおしゃれないでたちの方もちらほらと現れます。

田んぼばかりのこんなのどかなところに、ちょっとおしゃれなお店ができて嬉しくなったわたくしなのでした♪

・音楽とおしゃべりを楽しむ♪

2005-12-08

熊沢千絵さんのブログ発見!

ポスト @ 13:47:26 , 修正 @ 2005-12-08 15:06:33 | 01.全て,04.日々の徒然

先日新聞で 熊沢千絵さんのブログ があることを知り、早速覗いてみました。

熊沢さんは今は「グラツィア」という雑誌の専属モデルをなさっているようですが、以前は「ドマーニ」という雑誌によく出ていらして、その当時「きれいで素敵な方だなあ・・・」と思って見ていたのでした。

もともとは川原亜矢子さんが好きでこの雑誌を購読していたのですが、熊沢さんも肩の力の抜けたカジュアルでラフなスタイルをすると、とっても可愛らしさが出る女性だな・・と好感を持っていたのでした。

このブログは彼女がCMで出演する「アロマーモ」というチョコレートの宣伝も兼ねて作られたようなのですが(詳しくは分かりませんが・・・)、一応プライベートなブログということで、雑誌では見ることのできない熊沢さんの素顔に触れることができ、興味深く拝見しました。

ブログにはお仕事の話以外にお母さんとしての話、お料理の話(お子さんに作ったお弁当がかわいいですよ!)、日々のできごとなどが綴られています。写真も雑誌で見るものとは少し異なり、リラックスした表情です。それがかえって素敵だな、と感じました。

私はこうしたことに疎くて分からないのですが、芸能人(かな?)も熊沢さんのようにプライベートなブログをやっていて、一般の人たちと交流をしている・・・ということは案外に多いのでしょうか・・・?

以前テレビで、ある若手力士がやはりブログをやっていて、その日の取組が終わると夜はパソコンに向かってブログを作っている・・・という話を聞いたことがあります。

コメントが100件近く入るなんて言ってましたが、読むだけでも大変でしょうねえ・・。「それが励みになる・・」とおっしゃっていましたが・・・。

ともあれ、熊沢さんのブログはとても普通っぽくってステキ。それでいてファッショナブルで(当然ですよね)、見ていてとても楽しめたのでした。

2005-12-01

紅葉便り

ポスト @ 20:41:06 | 01.全て,04.日々の徒然

近所の銀杏が真黄色に変身し、その足元には黄金色の木の葉のじゅうたん・・・。

それはそれは見事な落ち葉のじゅうたんを、がさがさと音をさせて踏みしめてみたい衝動に駆られます。

ふと見ると、そばには竹ぼうきを持って落ち葉の回収に余念のない人がいます。見るのはタダだし楽しいものですが、近隣の方のご苦労も大変なものなのでしょうね。

HPをやるようになってデジカメを購入したのですが、そうなると以前にも増して季節の移り変わりが気になり、目がいくようになってきました。

今年は銀杏の黄葉が遅いなあ・・・と感じていたのですが、日本列島の紅葉前線は記録的にずれ込んでいるようです。

遅れの原因は冷え込み不足にあるとのこと。昼間に15〜20度以上の暖かさがあり、朝晩に5度以下の冷え込みがあると、紅葉が一気に進むそうです。暖かい中で光合成を行っていた緑の色素が、気温が低くなると壊れ、赤色がきれいに出てくる・・・そういったメカニズムがあるのだそうです。

今日の夜のニュースによると前橋で15日、東京で6日、横浜で9日の遅れがあるとのこと。地球温暖化や都市のヒートアイランド現象によって、少しずつ季節のさまが変わりつつあるのが気懸かりです。

・我が家のお庭のプチ紅葉

・季節はずれのラベンダー。冬到来前の夏の名残り。

2005-11-26

タイ料理にホット!な気分

ポスト @ 15:54:12 | 01.全て,04.日々の徒然

昨夜のこと、お友達2人と藤沢へタイ料理を食べにいきました。 ちょっと早めの忘年会・・・といったところでしょうか。

お友達、Tさんは長男の小・中学校時代の仲良しさんの親御さん・・・もう1人のNさんは次男の幼・小・中学校を通じての仲良しさんの親御さん・・・それぞれ別の場面で親しくさせていただいていたのですが、TさんNさん同士も独身時代同じ会社で働いていた元同僚なのでした。

この2人にとって私は共通の知人・・・ということで、最近3人で飲みに行くことが増えてきました。

今回はTさんがネットで探してくれたタイ料理のお店。 シェフはすべてタイの方でしたので、現地の味が忠実に再現されていました(と思います)。

ドリンクもタイのもの。カクテルはちょっと甘めでしたが、ビールはグー!日本のものよりほんの少し甘めでのどごしも爽やか・・・これはもう1度飲んでみたいです。

お料理は、生春巻き、春雨サラダ、スープ、鶏料理、オムレツ、チャーハン、デザート(柑橘類のシロップ付け)・・・どれも日本とは異なった独特のお味(ナンプラーを使っているのでしょうか・・・?)。少しお口ヒリヒリですが、ホットでエスニックなお料理に気分も上々。楽しいおしゃべりの花がひとしきり咲いたのでした。

・春雨サラダとタイのビール。私が飲んだのは「プーケット」という銘柄

2005-11-24

「ステキ・・・」のあれやこれや

ポスト @ 17:27:41 | 01.全て,04.日々の徒然

今日もホントにあったかな小春日和。もうすぐやってくる厳しい寒さを前に束の間の安息日・・・といったところでしょうか。

このステキな陽気に誘われて街へとお買い物に出かけました。こんな日は面倒くさいお買い物もなんだか楽しくなってしまいます。

近くの銀杏も見事な黄金色に変身しています。目に飛び込んでくる鮮やかなゴールドにこちらの気持ちもきらきらと輝いてきます。自然の美しさってすごいですね。人工的に作られたものではないだけに畏敬の念すら覚えてしまいます。

・自然からのステキなプレゼント

・野菊でしょうか・・・。ピンクの群生が愛らしい

午後家でのんびりと撮りためたビデオを観ました。 「スイッチ・オン」 という番組・・。5分ほどのほんの短いものですが、これが好きでいつも観ています。各界で活躍する色々な女性の「こだわりのあるステキ」なライフ・スタイルが仕事、趣味、家事など通して紹介されます。いつもは軽く聞き流しながら観ているのですが、ときおりハッと心のアンテナに引っかかる言葉やその方の生き方があります。

先日放映されたモデルのKIKIさん・・・。KIKIさんは写真がお好きで撮りためているそうですが、それを自身のHPで公開しているそうです。

『そのとき感じたことを文章にまとめると、自分の中の「記憶の整理」になるんですね。自分自身のことが客観的に分かる・・・引き出しがいっぱい増えていくんじゃないかと思うんです・・』 『自分がその時感じた嬉しいとか悲しいとかいう気持ちを、ほかの人にも感じてもらいたい・・・』

こんな言葉が印象的でした。私もそうですし、HPをやっている多くの方がこんな風に感じているのではないでしょうか・・・。

2005-11-18

智恵子の紙絵

ポスト @ 20:15:30 | 01.全て,04.日々の徒然

今日は雲ひとつない素晴らしい青空。ぽかぽかとした小春日和に近所の猫たちも気持ちよさそうに日向ぼっこをしています。

絶好のドライブ日和!光の粒子が飛びかうまばゆい空の下、「高村智恵子 紙絵展」を見るために大磯まで車を走らせました。

もう大分前・・・2001年9月のこと、津村節子さんがお書きになった『智恵子 飛ぶ』を読みました。それまでの私の智恵子に対する知識はといえば”『智恵子抄』で有名な高村光太郎の愛妻”・・・といったものでしかありませんでした。

智恵子が光太郎と同じく芸術家であり洋画を描いていたということ・・光太郎に対する愛情と彼の才能に対する嫉妬とのはざ間で苦悩していた一人の女性であったということ・・そして彼女の凄絶な人生をその本を通じて初めて知ったのでした。

智恵子は明治19年、福島県安達町の酒造業を営む旧家の長女として生まれます。才色兼備というのでしょうか・・・勉強も、運動も、そして容貌にも恵まれた彼女は学校でも目立つ存在であったようです。

やがて日本女子大に入学し油絵に興味を持つようになり、卒業後も東京に残って洋画家の道を目指しました。平塚らいてふらが創刊した「青鞜」の表紙画を描くなど、若き芸術家として活躍。やがて知人の紹介によって高村光太郎と出会い結婚。しかし苦しい窮乏生活、自身の病弱、心の支えであった生家の没落などが重なって、次第に精神を病んでいき(精神分裂病だったということです)、その後の人生を病院で過ごすことになるのです。

この病院時代に智恵子は多数の紙絵を生み出しました。はじめはお菓子の包装紙のようなもので作っていたようですが、そこに才能を見出した光太郎が美しい千代紙などを与え、はじめは単色だったものがやがて色彩にもこだわるようになり、その作品数は千数百枚にも及んだといいます。

光太郎いわく、その紙細工は「立派な芸術品」であったそう・・・洋画では芽のでなかった智恵子ですが、その才能は皮肉にも精神を病んだ後に開花したのでした。そんな彼女の作品を日本広告写真家協会顧問であり、智恵子のおいでもある高村 規さんが複写し、復刻させたものが今回の紙絵展の作品です。独特な技法で色紙のざらざらした部分までも写真で再現しています。本物の作品は長い年月を経て痛みが激しいそうですが、高村 規さんがこの素晴らしい芸術作品が消滅してしまわぬよう・・・後世に残るようにと制作されたそうです。

精神を病んでもなお才能をほとばしらせていたという智恵子・・・。その作品とはどのようなものであったのだろうか・・・。かねてからそう考えていた私は新聞で今回の作品展の開催を知り、旧友に会うような気持ちでここ大磯の地にかけつけたのでした。

・宣伝用ポストカード「ガラス器の中の野菜」

作品は写真撮影禁止ですが、全体を撮るのはOKとのことで、館長に撮っていただきました。

・智恵子の作品とともに
アートギャラリー大磯 は国道1号線化粧坂(けわいざか)交差点から旧東海道松並木に入ったところにあります。お化粧色をイメージした温かみのある外壁とバイオリンの屋根が目を惹きます。

・アートギャラリー大磯。.建物奥に見えるのがバイオリンの屋根

・近くには夜景の美しさで有名な湘南平がある

4年少しの歳月を経てやっとめぐりあった智恵子の作品。”出会い”を感じて一点お買い上げをしてしまった私なのでした。我が家にやってくるのはポストカードにも紹介されている「ガラス器の中の野菜」。後日届くのが楽しみです (Laugh)

2005-11-17

昼下がりのランチ

ポスト @ 18:22:10 | 01.全て,04.日々の徒然

今日は一月半ほど前に会社をお辞めになった元同僚のお友達と久しぶりにお会いして、楽しいランチのひと時を過ごしました。

お店は私が通勤途上でその前を通っていた可愛い外装のビストロ。ちょっと気になっていたこのお店にお友達をお誘いしました。石造りのお店の前には季節のお花がきれいに飾られていて、中からはいい匂いがただよってきそう・・・。そんなこのお店を、ずい分前から「いつかいきたいな・・」と思って見てきたのでした。

今日は予約客でいっぱい。地元の方達に人気なのでしょう。お店の中はおいしそうな匂いと、お客さん達の楽しそうな会話の声。その空間にはほんわかとした幸せが、匂いとともにただよっているようでした。

・前菜の鶏のマリネ

・メインのお肉料理。半熟卵を切り崩して食べる

・デザートのナッツいっぱいのズコット

・可愛い外装。目を惹きます

昼下がりのひととき、時間がゆったりと流れるなか、心のおもむくままに久しぶりに彼女とお話できたのでした。会社にいた頃は仕事の話ばかりで、あまり深くは存じ上げなかった友人。そんな彼女と家族の話、生い立ちの話、感じていることのあれやこれやをお話していくうちに、ジグゾーパズルのピースが埋まっていくようにその輪郭が整ってきて、「ああ、素敵なかただな・・」と改めて感じ入ったのでした・・・。

2005-11-13

動物達との思い出  (その2)小鳥篇

ポスト @ 0:25:37 | 01.全て,04.日々の徒然

さて、前述したように初めて一緒に暮らした動物は一匹の雑種犬、ポチでした。その後ポチと暮らした神戸での3年間の中で、縁あって一羽の手乗り文鳥を飼う機会に恵まれました。今回はその文鳥との思い出を書こうと思います。

その鳥は迷い鳥でした。どこからともなく飛んできて、母の知り合いが保護していたのを我が家が貰い受けてきました。よく人馴れしていて、手に乗る愛らしい鳥でした。文鳥でしたので、「ぶんちゃん」と名付けました(こうしてみると我が家のネーミングはいつも単純です (Gasp))。

うちに来た時はポチがやきもちを焼いて大変でした。一度飛んでいるところをキャッチしてガブッとやったことがあります。厳しく叱りましたので、それ以降はありませんでしたが・・・。基本的には犬は外、鳥は中、で飼っていましたから、ポチは屋内で飛ぶぶんちゃんをちょっと悲しげに窓の外から見つめているのでした。

ところで文鳥にはインコとは異なり求愛ダンスというものがあるようです。放鳥すると必ず鏡の前に行き、ピョンピョンとダンスしながら独特の節で歌をさえずります。それが求愛行動だということは知りませんでしたから、奇妙な鳥だなあ・・・と面白がって見ていたものです。その行動は幼い私にとって非常にインパクトがあり、歌の節は今でも覚えていて口ずさむことができるほどです。

当時母が家の中で放鳥するのを嫌いましたので(汚れるからだったんでしょう・・・)、ぶんちゃんの放鳥は母に隠れてこっそりと行いました。たまに外に出られるものだから、とても張り切ってびゅんびゅんと部屋を飛び回っていたのを覚えています。

それから卵の黄身が好きで、ラーメンの具として入っている黄身を好んで啄ばんでいたのも印象的です。

3年間の神戸での生活が終了し横浜に戻る時、ぶんちゃんは貰って下さるという知り合いに託しました。昔のことですので、連れて帰るのに犬も鳥も・・・というわけにはいかなかったのでしょう。その時のお別れが悲しかったか・・・というと実はよく覚えていないのです。薄情なようですが案外あっさりとお別れしたように思います。

そんな短い手乗り鳥とのふれあいでしたが、その時の”手に乗る鳥”の楽しさ、愛らしさはしっかりと記憶に刻み込まれました。後々手乗りとしてインコのひなをお迎えし、育てることになったのも、その時の思い出があったからだと思います。

以上が私が実家で過ごした子供時代に家で生活をともにした動物達との思い出です。たくさんの動物と暮らす・・・というわけではありませんでしたが、動物好きの私にとっては貴重な経験でした。

最後に父の話をすこし・・・。 元来父は動物が好きなようで、私はその遺伝子を受け継いだものと思われます。父は独身時代たくさんの動物達に囲まれて生活していたようです。昔は身近な所に鶏がいたり猫がいたり・・・と動物がたくさんいるということが当たり前だったようですね。父もそんな育ち方をしたようです。中でも印象的なのは伝書鳩の話です。

父は弟達と鳩をたくさん飼い、伝書鳩に仕込んだそうですが、戦争のためだったのでしょうか・・・詳細は分かりませんが、鳩を手放さなければならなくなり、一気に外に逃がしたそうです。すると数日してその鳩たちが仲間を連れて戻ってきてしまい、前以上にその数が増えてしまった・・・ということです。そんな笑い話のようなお話、あんな、こんなの動物達のお話を父から聞くことが私は好きでした。

純粋で・・無垢で・・愛情にあふれた生きものたち・・・。 私はやはり動物達が大好きです。これからも人生の大切な伴侶としていつも彼らと寄り添って生きていけたら・・・そう思うのであります (Laugh)

2005-11-12

動物達との思い出  (その1)犬篇

ポスト @ 19:05:31 | 01.全て,04.日々の徒然

今回は私が子供時代に家で飼っていた動物達について書いてみたいと思います。

私は幼い頃より動物好きであったように思います。子供時代の愛読書には、お定まりの「ルパン」、「ホームズ」のほかに、「シートン動物記」がありました。その中に出てくる野生動物たちの孤独で誇り高い姿に魅かれて、何回も読み返した記憶があります。

そんな私が初めて家族として一緒に過ごしたのは一匹の雑種の犬でした。名前はポチ。当時まだ6歳だった幼い私が「ここほれ、わんわん・・・」のお話から単純に付けた名前でした。

ポチは知り合いのお宅で、コリーである母親と雑種犬である父親との間に生まれました。母親似の兄弟達はみなもらわれて行きましたが、父親似の彼だけが残ってしまい、我が家が貰い受けることになりました。

幼い頃のポチはとてもやんちゃ・・・よく外に置いてあるサンダルをかじってボロボロにしていたのを覚えています。私は犬が飼いたくてたまらなかったので、狂喜してこのやんちゃな犬を愛し、同い年の友達のつもりで毎日彼と戯れました。

それから1年ほどして、父が神戸に転勤になり、一家してかの地に転居することになりました。私達は新幹線で神戸に行きましたが(私にとっては初めての新幹線!)、ポチは引越し業者のトラックの荷台に乗せてもらって神戸まで移動することになりました。

そのときの事は強烈な思い出として私の中に残っています。荷台に乗せられた彼の悲しげな顔・・・。トラックが私達から離れていくときの「キャイーン、キャイーン」という悲痛な声・・・。トラックが遠ざかっていく中、その声は小さくなり、小さくなりしていつまでも尾を引くように悲しく耳に響きました。また向こうで会える、と分かっていてもとても悲しかった・・・。あとで業者さんに聞いたところによると、彼はえさを与えられても喉に通らず、水しか飲まず、ずっと元気がなかったそうです。

さて、一足先に神戸の家に着いた私達はポチの到着を今か今かと胸はずませて待っていました。当時は移動にトラックで丸2日はかかったように思います。荷物とともに到着した彼は、また会えるとは思っていなかったのでしょう・・・しっぽをちぎれんばかりに振って大喜び。そんな思いは私達も同じ・・・抱き合って喜びました。

このようにして再会を果たした私達はこの地で3年間を過ごしました。その間に彼はやんちゃな子供時代から、思慮深い青年へと成長したようです。この3年間には色々な思い出がいっぱい詰まっています。

<一緒に登った須磨アルプス・・・臆病な彼は断崖絶壁に尻込みし、抱っこして登山したこと>

<須磨海岸ではやはり波におびえ、震えていたこと>

<病気になり生死をさまよっていた時、私達姉妹が隣町まで買いに行った初めての牛肉を喜び震えながら食べて、無事に死の淵からはいあっがったこと>

<学校給食のパンが嫌いで、与えてもこっそり隠れて裏庭に埋めていたこと。でも鼻面に付いた土でそれと分かってしまい、家族みなで大笑いしたこと>

思い出は尽きません。そんな楽しい3年間を過ごした後、また父に辞令が下り、横浜の元の家に戻ることになりました。私が11歳、ポチが5歳の時のことでした。移動は前と同じように、業者さんのトラックに乗せてもらうことになりました。

トラックの荷台に乗った彼は、不安そうではありましたが、それでももうなきさけぶことはありませんでした。3年前のことをしっかりと覚えていたようです。また会えるということを理解しているようにも見えました。その賢さに心底感動しました。 <また会えるよ、心配しないで> 心の中でそう呼びかけました。

横浜に戻った彼には、前にこの地にいた時のような天真爛漫なやんちゃさはもうありませんでした。それは彼が大人になったことにもよるのでしょうが、神戸にいた時に大病していたことが大きな原因でした。

病からは立ち直ってはいたものの後遺症が残り、興奮すると心臓に大きな負担がかかって、ばったりと倒れてしまうようになってしまったのです。お出かけをした私達が家に帰ってくると大喜びするのは良いのですが、そのあと興奮がすぎて昏倒してしまうのには困りました。それでも当時は今のようなペットブームではなかったのでしょう・・・医者に診せる事もせずに自然に任せていました。

戻って1年半が過ぎたころ、彼がめっきりと弱ってきました。私は中学1年生になっていました。そのころには医者にも診せたりしていたのですが、薬をもらうものの何の打つ手もなく、弱っていくのを黙って見ているよりほかありませんでした。

初夏のある日のこと、学校から戻ってくると彼はすでに冷たくなっていました。最期の時に一緒にいてやれなくて、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。母が看取ってくれたのがせめてもの救いです。まだ死後何時間もたっていないのに、死臭が漂っていたのでしょうか・・・その口に既にハエがたかっているのを私はただ呆然と見つめていました。手でそのからだに触れて、 「可愛そうに・・・最期にいてあげられなくてごめんね。今までありがとう!」 と撫でてあげたかったのですが、なぜか触れることができませんでした。初めて見る屍というものが怖かったのでしょうか・・・ショックが強すぎたのでしょうか・・・。それが今でも心残りになっています。

夕刻、私達は庭に穴を掘り、お花や思い出の品、お手紙などと一緒にポチを埋葬しました。なぜかよく覚えているのはその日の晩ごはんがカレーだったことです。私の大好物だったカレー・・・でも悲しみに胸が塞がれて食べることはできませんでした。6年少しの短い生涯でした。大病をしなければもう少し長生きできたのではないかと思うと残念でなりません。それでも家族みなに愛されたポチ・・・きっと幸せな一生だったと信じています。

今でも私のうちの庭には(私は建て替えた実家に住んでいます)ポチと、それから一昨年亡くなったチコちゃんが静かに眠っています。そんな彼らに守られてやすらかな日々が流れているのだなあ・・・としみじみ感じる瞬間があります。

私達にたくさんの愛情を与えてくれた小さな動物たち・・・その思い出を感謝の気持ちとともに大切に守って生きていきたい・・・そう思うこのごろです。

・うちに来たばかりの頃のポチ

・須磨アルプスにて

・神戸にて  4歳くらい

2005-11-04

大人の遠足

ポスト @ 21:11:31 | 01.全て,04.日々の徒然

今日は長男の高校・PTA主催の社会見学に参加。東京タワーや浅草などお江戸東京を散策し、のどかな一日を過ごしました。このような機会は子供達の小・中学校時代に毎年あったのですが、参加するのは今回が初めてです。「遠足」気分でちょっと胸わくわくです。

まず8時に学校集合。一緒に申し込んだ2人のお友達と合流。バスにて一路東京に向かいました。10時半頃東京タワーに到着。子供達がまだ幼かった頃に行って以来、本当に久しぶりです。今日は平日なので混雑も無く、ゆったりと東京の町の眺望を楽しめました。

・東京駅方面の眺望。右端奥に日本テレビが見える

・足元を見ると超こわいぞ!

タワー見学後は浅草に向かいました。葵丸進さんで「江戸前天婦羅定食」の昼食。いつものお昼は粗食なので何だかとてもリッチな気分・・・。おなかも整い、いざ浅草の町へと繰り出します。

・浅草寺入り口。すごい人出だ。
・お猿さんの芸。とっても可愛い!

浅草のおいしいコーヒーも飲んで、”真っ赤な橋”で有名な吾妻橋に集合。ここより隅田川を水上バスで遊覧です。そよ吹く風の中、船の揺れも心地よく午後のひと時はゆったりと流れていきます。

・神田川と隅田川が交わるところ
・レインボー・ブリッジも見える

約45分のクルーズを楽しみ、日の出桟橋に到着。ここよりバスにて帰路に着きます。 バスの中ではビンゴ大会。(私もマーブルチョコのシャーペンを当てたぞ!)そしてひとしきりおしゃべりの花が咲いた後、皆さんうとうとと夢心地の中、バスは我が町へと向かって行きました。

・高速道路から見た落日。今日も一日が終わります。

今日は暑からず、寒からず、天候にも恵まれた中、「大人の遠足」を堪能いたしました。この2日間、文化の日にちなんで「文化的な過ごし方をしたぞー!」と自己満足に浸る私なのでした (Gasp)