2005-11-12
動物達との思い出 (その1)犬篇
今回は私が子供時代に家で飼っていた動物達について書いてみたいと思います。
私は幼い頃より動物好きであったように思います。子供時代の愛読書には、お定まりの「ルパン」、「ホームズ」のほかに、「シートン動物記」がありました。その中に出てくる野生動物たちの孤独で誇り高い姿に魅かれて、何回も読み返した記憶があります。
そんな私が初めて家族として一緒に過ごしたのは一匹の雑種の犬でした。名前はポチ。当時まだ6歳だった幼い私が「ここほれ、わんわん・・・」のお話から単純に付けた名前でした。
ポチは知り合いのお宅で、コリーである母親と雑種犬である父親との間に生まれました。母親似の兄弟達はみなもらわれて行きましたが、父親似の彼だけが残ってしまい、我が家が貰い受けることになりました。
幼い頃のポチはとてもやんちゃ・・・よく外に置いてあるサンダルをかじってボロボロにしていたのを覚えています。私は犬が飼いたくてたまらなかったので、狂喜してこのやんちゃな犬を愛し、同い年の友達のつもりで毎日彼と戯れました。
それから1年ほどして、父が神戸に転勤になり、一家してかの地に転居することになりました。私達は新幹線で神戸に行きましたが(私にとっては初めての新幹線!)、ポチは引越し業者のトラックの荷台に乗せてもらって神戸まで移動することになりました。
そのときの事は強烈な思い出として私の中に残っています。荷台に乗せられた彼の悲しげな顔・・・。トラックが私達から離れていくときの「キャイーン、キャイーン」という悲痛な声・・・。トラックが遠ざかっていく中、その声は小さくなり、小さくなりしていつまでも尾を引くように悲しく耳に響きました。また向こうで会える、と分かっていてもとても悲しかった・・・。あとで業者さんに聞いたところによると、彼はえさを与えられても喉に通らず、水しか飲まず、ずっと元気がなかったそうです。
さて、一足先に神戸の家に着いた私達はポチの到着を今か今かと胸はずませて待っていました。当時は移動にトラックで丸2日はかかったように思います。荷物とともに到着した彼は、また会えるとは思っていなかったのでしょう・・・しっぽをちぎれんばかりに振って大喜び。そんな思いは私達も同じ・・・抱き合って喜びました。
このようにして再会を果たした私達はこの地で3年間を過ごしました。その間に彼はやんちゃな子供時代から、思慮深い青年へと成長したようです。この3年間には色々な思い出がいっぱい詰まっています。
<一緒に登った須磨アルプス・・・臆病な彼は断崖絶壁に尻込みし、抱っこして登山したこと>
<須磨海岸ではやはり波におびえ、震えていたこと>
<病気になり生死をさまよっていた時、私達姉妹が隣町まで買いに行った初めての牛肉を喜び震えながら食べて、無事に死の淵からはいあっがったこと>
<学校給食のパンが嫌いで、与えてもこっそり隠れて裏庭に埋めていたこと。でも鼻面に付いた土でそれと分かってしまい、家族みなで大笑いしたこと>
思い出は尽きません。そんな楽しい3年間を過ごした後、また父に辞令が下り、横浜の元の家に戻ることになりました。私が11歳、ポチが5歳の時のことでした。移動は前と同じように、業者さんのトラックに乗せてもらうことになりました。
トラックの荷台に乗った彼は、不安そうではありましたが、それでももうなきさけぶことはありませんでした。3年前のことをしっかりと覚えていたようです。また会えるということを理解しているようにも見えました。その賢さに心底感動しました。 <また会えるよ、心配しないで> 心の中でそう呼びかけました。
横浜に戻った彼には、前にこの地にいた時のような天真爛漫なやんちゃさはもうありませんでした。それは彼が大人になったことにもよるのでしょうが、神戸にいた時に大病していたことが大きな原因でした。
病からは立ち直ってはいたものの後遺症が残り、興奮すると心臓に大きな負担がかかって、ばったりと倒れてしまうようになってしまったのです。お出かけをした私達が家に帰ってくると大喜びするのは良いのですが、そのあと興奮がすぎて昏倒してしまうのには困りました。それでも当時は今のようなペットブームではなかったのでしょう・・・医者に診せる事もせずに自然に任せていました。
戻って1年半が過ぎたころ、彼がめっきりと弱ってきました。私は中学1年生になっていました。そのころには医者にも診せたりしていたのですが、薬をもらうものの何の打つ手もなく、弱っていくのを黙って見ているよりほかありませんでした。
初夏のある日のこと、学校から戻ってくると彼はすでに冷たくなっていました。最期の時に一緒にいてやれなくて、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。母が看取ってくれたのがせめてもの救いです。まだ死後何時間もたっていないのに、死臭が漂っていたのでしょうか・・・その口に既にハエがたかっているのを私はただ呆然と見つめていました。手でそのからだに触れて、 「可愛そうに・・・最期にいてあげられなくてごめんね。今までありがとう!」 と撫でてあげたかったのですが、なぜか触れることができませんでした。初めて見る屍というものが怖かったのでしょうか・・・ショックが強すぎたのでしょうか・・・。それが今でも心残りになっています。
夕刻、私達は庭に穴を掘り、お花や思い出の品、お手紙などと一緒にポチを埋葬しました。なぜかよく覚えているのはその日の晩ごはんがカレーだったことです。私の大好物だったカレー・・・でも悲しみに胸が塞がれて食べることはできませんでした。6年少しの短い生涯でした。大病をしなければもう少し長生きできたのではないかと思うと残念でなりません。それでも家族みなに愛されたポチ・・・きっと幸せな一生だったと信じています。
今でも私のうちの庭には(私は建て替えた実家に住んでいます)ポチと、それから一昨年亡くなったチコちゃんが静かに眠っています。そんな彼らに守られてやすらかな日々が流れているのだなあ・・・としみじみ感じる瞬間があります。
私達にたくさんの愛情を与えてくれた小さな動物たち・・・その思い出を感謝の気持ちとともに大切に守って生きていきたい・・・そう思うこのごろです。
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