2005-11-13
動物達との思い出 (その2)小鳥篇
さて、前述したように初めて一緒に暮らした動物は一匹の雑種犬、ポチでした。その後ポチと暮らした神戸での3年間の中で、縁あって一羽の手乗り文鳥を飼う機会に恵まれました。今回はその文鳥との思い出を書こうと思います。
その鳥は迷い鳥でした。どこからともなく飛んできて、母の知り合いが保護していたのを我が家が貰い受けてきました。よく人馴れしていて、手に乗る愛らしい鳥でした。文鳥でしたので、「ぶんちゃん」と名付けました(こうしてみると我が家のネーミングはいつも単純です )。
うちに来た時はポチがやきもちを焼いて大変でした。一度飛んでいるところをキャッチしてガブッとやったことがあります。厳しく叱りましたので、それ以降はありませんでしたが・・・。基本的には犬は外、鳥は中、で飼っていましたから、ポチは屋内で飛ぶぶんちゃんをちょっと悲しげに窓の外から見つめているのでした。
ところで文鳥にはインコとは異なり求愛ダンスというものがあるようです。放鳥すると必ず鏡の前に行き、ピョンピョンとダンスしながら独特の節で歌をさえずります。それが求愛行動だということは知りませんでしたから、奇妙な鳥だなあ・・・と面白がって見ていたものです。その行動は幼い私にとって非常にインパクトがあり、歌の節は今でも覚えていて口ずさむことができるほどです。
当時母が家の中で放鳥するのを嫌いましたので(汚れるからだったんでしょう・・・)、ぶんちゃんの放鳥は母に隠れてこっそりと行いました。たまに外に出られるものだから、とても張り切ってびゅんびゅんと部屋を飛び回っていたのを覚えています。
それから卵の黄身が好きで、ラーメンの具として入っている黄身を好んで啄ばんでいたのも印象的です。
3年間の神戸での生活が終了し横浜に戻る時、ぶんちゃんは貰って下さるという知り合いに託しました。昔のことですので、連れて帰るのに犬も鳥も・・・というわけにはいかなかったのでしょう。その時のお別れが悲しかったか・・・というと実はよく覚えていないのです。薄情なようですが案外あっさりとお別れしたように思います。
そんな短い手乗り鳥とのふれあいでしたが、その時の”手に乗る鳥”の楽しさ、愛らしさはしっかりと記憶に刻み込まれました。後々手乗りとしてインコのひなをお迎えし、育てることになったのも、その時の思い出があったからだと思います。
以上が私が実家で過ごした子供時代に家で生活をともにした動物達との思い出です。たくさんの動物と暮らす・・・というわけではありませんでしたが、動物好きの私にとっては貴重な経験でした。
最後に父の話をすこし・・・。 元来父は動物が好きなようで、私はその遺伝子を受け継いだものと思われます。父は独身時代たくさんの動物達に囲まれて生活していたようです。昔は身近な所に鶏がいたり猫がいたり・・・と動物がたくさんいるということが当たり前だったようですね。父もそんな育ち方をしたようです。中でも印象的なのは伝書鳩の話です。
父は弟達と鳩をたくさん飼い、伝書鳩に仕込んだそうですが、戦争のためだったのでしょうか・・・詳細は分かりませんが、鳩を手放さなければならなくなり、一気に外に逃がしたそうです。すると数日してその鳩たちが仲間を連れて戻ってきてしまい、前以上にその数が増えてしまった・・・ということです。そんな笑い話のようなお話、あんな、こんなの動物達のお話を父から聞くことが私は好きでした。
純粋で・・無垢で・・愛情にあふれた生きものたち・・・。 私はやはり動物達が大好きです。これからも人生の大切な伴侶としていつも彼らと寄り添って生きていけたら・・・そう思うのであります
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