こざくら日和 : 智恵子の紙絵

2005-11-18

智恵子の紙絵

ポスト @ 20:15:30 | 01.全て,04.日々の徒然

今日は雲ひとつない素晴らしい青空。ぽかぽかとした小春日和に近所の猫たちも気持ちよさそうに日向ぼっこをしています。

絶好のドライブ日和!光の粒子が飛びかうまばゆい空の下、「高村智恵子 紙絵展」を見るために大磯まで車を走らせました。

もう大分前・・・2001年9月のこと、津村節子さんがお書きになった『智恵子 飛ぶ』を読みました。それまでの私の智恵子に対する知識はといえば”『智恵子抄』で有名な高村光太郎の愛妻”・・・といったものでしかありませんでした。

智恵子が光太郎と同じく芸術家であり洋画を描いていたということ・・光太郎に対する愛情と彼の才能に対する嫉妬とのはざ間で苦悩していた一人の女性であったということ・・そして彼女の凄絶な人生をその本を通じて初めて知ったのでした。

智恵子は明治19年、福島県安達町の酒造業を営む旧家の長女として生まれます。才色兼備というのでしょうか・・・勉強も、運動も、そして容貌にも恵まれた彼女は学校でも目立つ存在であったようです。

やがて日本女子大に入学し油絵に興味を持つようになり、卒業後も東京に残って洋画家の道を目指しました。平塚らいてふらが創刊した「青鞜」の表紙画を描くなど、若き芸術家として活躍。やがて知人の紹介によって高村光太郎と出会い結婚。しかし苦しい窮乏生活、自身の病弱、心の支えであった生家の没落などが重なって、次第に精神を病んでいき(精神分裂病だったということです)、その後の人生を病院で過ごすことになるのです。

この病院時代に智恵子は多数の紙絵を生み出しました。はじめはお菓子の包装紙のようなもので作っていたようですが、そこに才能を見出した光太郎が美しい千代紙などを与え、はじめは単色だったものがやがて色彩にもこだわるようになり、その作品数は千数百枚にも及んだといいます。

光太郎いわく、その紙細工は「立派な芸術品」であったそう・・・洋画では芽のでなかった智恵子ですが、その才能は皮肉にも精神を病んだ後に開花したのでした。そんな彼女の作品を日本広告写真家協会顧問であり、智恵子のおいでもある高村 規さんが複写し、復刻させたものが今回の紙絵展の作品です。独特な技法で色紙のざらざらした部分までも写真で再現しています。本物の作品は長い年月を経て痛みが激しいそうですが、高村 規さんがこの素晴らしい芸術作品が消滅してしまわぬよう・・・後世に残るようにと制作されたそうです。

精神を病んでもなお才能をほとばしらせていたという智恵子・・・。その作品とはどのようなものであったのだろうか・・・。かねてからそう考えていた私は新聞で今回の作品展の開催を知り、旧友に会うような気持ちでここ大磯の地にかけつけたのでした。

・宣伝用ポストカード「ガラス器の中の野菜」

作品は写真撮影禁止ですが、全体を撮るのはOKとのことで、館長に撮っていただきました。

・智恵子の作品とともに
アートギャラリー大磯 は国道1号線化粧坂(けわいざか)交差点から旧東海道松並木に入ったところにあります。お化粧色をイメージした温かみのある外壁とバイオリンの屋根が目を惹きます。

・アートギャラリー大磯。.建物奥に見えるのがバイオリンの屋根

・近くには夜景の美しさで有名な湘南平がある

4年少しの歳月を経てやっとめぐりあった智恵子の作品。”出会い”を感じて一点お買い上げをしてしまった私なのでした。我が家にやってくるのはポストカードにも紹介されている「ガラス器の中の野菜」。後日届くのが楽しみです (Laugh)

トラックバック

トラックバックはありません

貴方のサイトからトラッキングしてください

http://kozakura.orche.net/trackback/tb.php?id=24
(言及リンクのないトラックバックは無視されます)

コメント

コメントはありません

コメントを以下からお願いします



(Smile) (Wink) (Laugh) (Foot in mouth) (Frown) (Gasp) (Cool) (Tongue)

*は入力必須です。E-Mailは公開されません。