本日1月5日はチコちゃんの命日でした。
2004年1月5日落鳥。4年5ヶ月の短い生涯をチコちゃんはケージのなかだけで過ごしました。
チコちゃんはピーちゃんとともにお友達の家で繁殖したひなでした。生後2ヶ月で我が家にやってきた、我が家の鳥サン第1号です。
この2羽は手乗りとして育てられなかったため、人や人の手をとても怖がっていました。 それでもピーちゃんはケージに手を入れたくらいでは動じることはなかったのですが、チコちゃんは本当にこわがりん坊で、手を入れようものなら側面に張り付いたり、バタバタと飛び回ったりで、全く人には懐きませんでした。
そんなチコちゃん・・・亡くなったのは1月5日の深夜だったと記憶しています。 今でもそのときのことは苦い後悔と共にはっきりと覚えているのです。
お正月気分も抜けきらぬ5日深夜・・・寝ているときに「バタバタバターッ!!」という激しい羽音がしました。 私は眠りのまどろみの中、その音に気づきました。夜中に何かに驚いてパニックになるのでしょうか・・・そうしたことが以前にも時々ありました。そんな時はいつも電器をつけてあげます。そうするとパニックはほどなく収まるのです。でもそのときに限って見に行かなかった・・・。「ああ、またいつものあれか・・・」・・・と大した危機感も持たず、見に行ってあげさえしなかったのです。そうこうする内に静かになり、私は朝までチコちゃんの異変に気づかずにいたのでした。
朝起きてケージを覗くとチコちゃんは糞切りあみのところに倒れていました。 心臓が跳ね上がりました。子供達を呼んで大騒ぎ・・・。でももう後の祭りです。 同じケージの止まり木にピーちゃんがひとりひっそりと止まっているのが何とも寂しげでした。
思えばもう大分前から弱っている気配はあったのです。 昼間でも顔を背中にうずめて眠ってばかり。しかもその体はゆらりゆらりと不安定です。 その頃のチコちゃんは一日の大半を相方ピーちゃんに寄りかかって過ごすようになっていました。
健気だったのはピーチャンです。寄りかかられて重そうにしてはいるのですが、文句も言わず(?)じっと支えてあげていたのでした。
私達はチコちゃんをケージから出し、ティッシュをやわらかく詰めた小箱にそっと安置しました。このとき初めて私達はチコちゃんに触れたのでした。初めて抱っこをしてあげられたのでした。その体はすでに硬くなっていたのですが・・・。
ピーちゃんは何事も無かったかのように平然としています。でも吐き戻しのプレゼントをあげたり、羽づくろいを丁寧にしてあげたりと、この2羽は本当に「おしどり夫婦」でしたのできっとショックを受けていたことでしょう。 まだうちに来たばかりの生後5ヶ月のルチノちゃんは「なんだなんだ?!」といった風情でチコちゃんを覗き込んでいます。まだ「死」というものを知らぬ赤ちゃんでした。
チコちゃんのなきがらはお庭の片隅・・・木と木の間のひっそりと静かなところに埋葬しました。子供達と手を合わせているとき、私はぽたぽたと零れ落ちてくる涙をとめることが出来ませんでした。一生をケージのみで過ごした、その不憫な生涯を思うと無性に悲しかったのです。
もう二度と「かごの鳥」は飼うまい・・・。そのときそう誓ったのでした。
それからはや2年の月日が流れました。 いま私にとって救いとなっているのはピーちゃんの存在です。 ピーちゃんはチコちゃんと同じ境遇にありながら、今ではまがりなりにも外の世界を楽しむ、「手乗りもどきサン」になっています。ピーちゃんが外にでる勇気をもってくれて本当によかった・・・。
どうかチコちゃんの分まで自由を味わってほしい・・・幸せになってほしい・・・。 そう願ってやみません。
佐渡島で飼育されている最後の国産トキであるキンが死亡したというニュースを以前新聞で読みました。
キンは弱っているにもかかわらず、死の直前突然飛翔しケージの扉に激突しました。それが直接の死亡原因になりました。モニターには突然羽ばたいて飛び立つキンの姿が映されていたそうです。推定年齢36才・・・人間にすると100才にはなるというキンは、長くは立っていられず腹ばいがちだったといいます。
本当かどうかは分かりませんが、鳥というものは死の直前、どこにそんな力があるのかと思われるほどの力で突然飛翔するというのです。
キンもそうだったのでしょうか・・・そしてチコちゃんも正にそうだったのかも知れません。 そんな最後の羽ばたきに鳥さんの本能や願望、また悲しみといったものを感じずにはいられません。
お星様になる直前に、元気だった頃の自分・・・力強く羽ばたいていた頃の自分が鮮やかに蘇るのでしょうか・・・☆
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本日1月5日はチコちゃんの命日でした。
2004年1月5日落鳥。4年5ヶ月の短い生涯をチコちゃんはケージのなかだけで過ごしました。
チコちゃんはピーちゃんとともにお友達の家で繁殖したひなでした。生後2ヶ月で我が家にやってきた、我が家の鳥サン第1号です。
この2羽は手乗りとして育てられなかったため、人や人の手をとても怖がっていました。 それでもピーちゃんはケージに手を入れたくらいでは動じることはなかったのですが、チコちゃんは本当にこわがりん坊で、手を入れようものなら側面に張り付いたり、バタバタと飛び回ったりで、全く人には懐きませんでした。
そんなチコちゃん・・・亡くなったのは1月5日の深夜だったと記憶しています。 今でもそのときのことは苦い後悔と共にはっきりと覚えているのです。
お正月気分も抜けきらぬ5日深夜・・・寝ているときに「バタバタバターッ!!」という激しい羽音がしました。 私は眠りのまどろみの中、その音に気づきました。夜中に何かに驚いてパニックになるのでしょうか・・・そうしたことが以前にも時々ありました。そんな時はいつも電器をつけてあげます。そうするとパニックはほどなく収まるのです。でもそのときに限って見に行かなかった・・・。「ああ、またいつものあれか・・・」・・・と大した危機感も持たず、見に行ってあげさえしなかったのです。そうこうする内に静かになり、私は朝までチコちゃんの異変に気づかずにいたのでした。
朝起きてケージを覗くとチコちゃんは糞切りあみのところに倒れていました。 心臓が跳ね上がりました。子供達を呼んで大騒ぎ・・・。でももう後の祭りです。 同じケージの止まり木にピーちゃんがひとりひっそりと止まっているのが何とも寂しげでした。
思えばもう大分前から弱っている気配はあったのです。 昼間でも顔を背中にうずめて眠ってばかり。しかもその体はゆらりゆらりと不安定です。 その頃のチコちゃんは一日の大半を相方ピーちゃんに寄りかかって過ごすようになっていました。
健気だったのはピーチャンです。寄りかかられて重そうにしてはいるのですが、文句も言わず(?)じっと支えてあげていたのでした。
私達はチコちゃんをケージから出し、ティッシュをやわらかく詰めた小箱にそっと安置しました。このとき初めて私達はチコちゃんに触れたのでした。初めて抱っこをしてあげられたのでした。その体はすでに硬くなっていたのですが・・・。
ピーちゃんは何事も無かったかのように平然としています。でも吐き戻しのプレゼントをあげたり、羽づくろいを丁寧にしてあげたりと、この2羽は本当に「おしどり夫婦」でしたのできっとショックを受けていたことでしょう。 まだうちに来たばかりの生後5ヶ月のルチノちゃんは「なんだなんだ?!」といった風情でチコちゃんを覗き込んでいます。まだ「死」というものを知らぬ赤ちゃんでした。
チコちゃんのなきがらはお庭の片隅・・・木と木の間のひっそりと静かなところに埋葬しました。子供達と手を合わせているとき、私はぽたぽたと零れ落ちてくる涙をとめることが出来ませんでした。一生をケージのみで過ごした、その不憫な生涯を思うと無性に悲しかったのです。
もう二度と「かごの鳥」は飼うまい・・・。そのときそう誓ったのでした。
それからはや2年の月日が流れました。 いま私にとって救いとなっているのはピーちゃんの存在です。 ピーちゃんはチコちゃんと同じ境遇にありながら、今ではまがりなりにも外の世界を楽しむ、「手乗りもどきサン」になっています。ピーちゃんが外にでる勇気をもってくれて本当によかった・・・。
どうかチコちゃんの分まで自由を味わってほしい・・・幸せになってほしい・・・。 そう願ってやみません。
佐渡島で飼育されている最後の国産トキであるキンが死亡したというニュースを以前新聞で読みました。
キンは弱っているにもかかわらず、死の直前突然飛翔しケージの扉に激突しました。それが直接の死亡原因になりました。モニターには突然羽ばたいて飛び立つキンの姿が映されていたそうです。推定年齢36才・・・人間にすると100才にはなるというキンは、長くは立っていられず腹ばいがちだったといいます。
本当かどうかは分かりませんが、鳥というものは死の直前、どこにそんな力があるのかと思われるほどの力で突然飛翔するというのです。
キンもそうだったのでしょうか・・・そしてチコちゃんも正にそうだったのかも知れません。 そんな最後の羽ばたきに鳥さんの本能や願望、また悲しみといったものを感じずにはいられません。
お星様になる直前に、元気だった頃の自分・・・力強く羽ばたいていた頃の自分が鮮やかに蘇るのでしょうか・・・☆