こざくら日和 : 過去ログ : 2006-04-26

2006-04-26

「ハラス」とその後

ポスト @ 17:26:12 | 01.全て,05.読書の小部屋

4月9日の日記 で紹介した本、『ハラスのいた日々』『犬のいる暮し』を先日読み終えましたのでご紹介。

♪     ♪     ♪
子のない夫婦のもとにやってきた一匹の柴犬、ハラスと過ごした13年の歳月を綴ったものがこの『ハラスのいた日々』です。

まずタイトルに惹かれます。「いた」と過去形になっているところにすでにある種の感慨を覚えます。そして特筆すべきはその写真の多さです。ざっと数えて60枚以上はあるでしょうか、そのそれぞれに短い文で解説がつけられています。

「花の香をかぐハラス」・・「ハラスのお得意のポーズ」・・「庭はまさにハラスの領地だった」・・「冬枯れの庭で野鳥を見つめるハラス」・・「ハラスはこの椅子をずっと愛用した」・・「その仕草のひとつひとつが愛しかった」・・・といった具合。その写真を見ているとひとつひとつから作者のハラスに対する愛情がひしひしと伝わってくるようです。

また愛犬との暮しにとどまらず、人と犬とが暮らすことの意味や犬とどう向き合っていくべきかなどが客観的な目で淡々と綴られています。そしてその言及は時として痛烈なほど。それは心無い飼い主や、洋犬ブームのような流行を追う風潮に対する批判となって現れます。

作者は2004年に永眠されていますが、亡くなるまでに飼った4代の犬はすべて柴犬。柴犬以外と暮らすことはハラスを裏切るようだからという理由が第一のようですが、先の洋犬ブームに対する批判精神にもこの柴犬に固執したわけがあるようです。そんなところに作者の偏屈さを感じないわけではありませんが、この本全編に綴られるハラスに対する愛情は本当に胸を打つものがあります。

「尻尾を振りに振って犬が全身でぶつかってくる。人もまた誰はばかることなく思う存分愛情を振り注いでやる。これこそ生を実感する時ではないか。」・・・そんな言葉の数々は多くの愛犬家の声を代弁したものに違いありません。

大学教授、そして作家としてもたくさんの著書を持つ作者、中野孝次―。過去にテレビ出演したところを2回ほど目撃した人の話にはとても興味深いものがあります。

ひとつは大岡昇平との対談で作者は大岡から戦争体験を聞き出す役をしていたそうですが、このときの中野はかなり緊張していたのか、番組が終わるまでにこりともしなかったそうです。大岡が不意に言葉を詰まらせ涙声になった際にも格別動揺した様子も見せず、大岡の顔をむしろ険しい表情でじっと正面から見つめていたといいます。もう一つの番組は、高校生を自宅に派遣して中野に自作について語らせるというものだったそうですが、彼はやはり笑顔を全く見せず、番組が終わるまで硬い表情を終始崩さなかったそうです。

神経質で気難しいところは写真に写る作者の顔にもよく出ているのですが、そんな作者だからこそこのハラスの記がかえって生き生きと輝くように思います。愛犬に対するあふれんばかりの愛情はこの作者にして・・・という意外性があり、また失踪時の腰も抜かさんばかりの動揺振りなどは読んでいて痛々しいほど。

この本はハラスが志賀高原で行方不明になった4日間の騒動記が中心です。そして彼が近所の紀州犬に腹を食い破られるという悲話、またガンにかかったハラスが死を迎えるまでの臨終記などいくつかのエピソードも紹介されます。特に失踪の騒動記には多くのページが割かれ手に汗握るほどの緊迫感があります。まさに奇跡の生還ともいえるこのエピソードはきっと動物たちと暮らすたくさんの人を感動させることでしょう(ルチノちゃんに家出された私は特に身につまされました・・・)。

一方、『犬のいる暮し』は『ハラスのいた日々』から15年の歳月を経て書かれたものです。ハラスの死後5年たって再び犬とともに生きる喜びを得た作者が、人間と犬とのかけがえのない絆を語り尽くします。またこの本はハラス以降の4代の柴犬のことを中心にして、「なぜひとは犬と暮らしたがるのか」という命題を解き明かすための書ともいえます。またひとが老いるということの意味やその心境が切々と綴られており、これから歩むであろう道についても私たちにしみじみと考えさせます。

この本を書いた5年後に永眠された中野孝次さん。『犬と暮す』は作者の「人生まとめの記」ともいえる本だと思います。

♪     ♪     ♪

すっかり長くなってしまいましたが、動物と暮らす人にとってこの本は読むにとても良い本だと思いました。また人生の晩年にさしかかった先達としての言葉の数々は真に感慨深く、胸に落ちるものがあります。そんな面からも一読の価値ありの書だと思います。